- 「語学センスがある人の特徴って?」
- 「自分自身には語学センスはあるのか?」
外国語学習をしている人・興味がある人にとって「語学センスってなんだろう?」と考えることってしばしばあると思います。
例えば、
- 音楽をやっている(やっていた)人は音感が外国語学習に有利になる
- モノマネが上手な人は言語の習得も早い
- 外国語学習は幼少期(早い時期)から始めたほうがよい
なんてこともよく言われますが、実際に語学センスの定義ってボヤーっとしていて明確なものさしで表すのって難しいですよね!(資格や試験結果など、客観的に測るというのももちろんありますが)
そして、外国語の習得においては「環境」が関係するということについては容易に想像できますし、割と納得しやすいものではあります。
- 家族の都合・留学・仕事など外国で長期で生活する
- ある言語を使わざるをえない状況下に置かれる
- 家庭・学校・会社など、それぞれのシチュエーションで違う言語を使う など…
こうした環境によって外国語の習得に何かしら影響があることは、いわゆる「あるある」ですが、「昔(幼少期など)に外国語を話せていたけど、もう忘れてしまった!」というようなケースもあったりと、必ずしも環境や長期滞在といったものだけが全てではないような気がします。
僕も絶対的な最良の方法があれば本当に知りたいくらいです(‘ω’)
なんですが、語学センスについて「生まれつき・環境によらず、外国語学習に取り組んでいる人は誰もがあるもの」だと個人的には思います。
語学・言語習得に対して…
- 行動力があること
- 知的好奇心・探求心・興味・関心があること
- 目的意識があること
- 寛容・柔軟な心で構えていること
- 継続すること
- 母国語(軸となる言語)での表現が豊かであること
ざっくりとシンプルな一般論のようになりますが、これらが「センスがあるということ、そして磨くこと」に繋がると思っています。なので自分自身もそうですし(自分で言っちゃってますが)、外国語学習・言語習得に取り組んでいる人は誰もが「語学センスがある!」と僕は思います(‘ω’)
目次
行動力があること
「外国語をしゃべれるようになりたい」
そう漠然とした憧れだったり目標を思い浮かべていても、まず「外国語を学ぼう!」という一歩を踏み出すことが当たり前ではないことに気づかされます。
「じゃあまずを何をすべき?」が分からなかったり、「自分自身に向いているのかな」「続くかな」などなど。「わかっちゃいるけどー…」といざ具体的な行動を起こす時ってついつい言い訳だったり、出来ない理由を探しがちですよね。
ジムや習い事もきっとそうだと思います!資料を取り寄せたり、体験クラスにいってたり、習い事スケジュールの想像をしてみたりなど…そういう段階ではやる気満々なのにいざ本格始動しようとすると躊躇してしまう…あるあるだと思います。
でも、誰もがスタートするときは初めて・分からないが当たり前なわけですから「とりあえずやってみよう!」という度胸や心構えってとても大事なんですよね。
- きっかけを作る
➡海外へ旅行してみる など… - 発展させる
➡一人旅にチャレンジしてみる など… - 同志を見つける
➡スクールに通ったり旅行先で、同じ趣味の仲間を作る など… - 自己満足の追求・環境整備
➡テキストを買いそろえてみる など…
センス(感覚)を磨くには、まず動きださないことには何も始まらないわけです(‘ω’)語学センスがある人は、とにかく何かしら「ゼロ」の状態からの脱却のため、勢いと勇気がある行動力があるような気がします。
僕自身については、中国語教室に実際通い始める決断をするまで、そこそこ長い時間をかけて迷っていました。興味や関心、もっとたくさん学びたいという気持ちが十分にあっても「いざ通学する!」という覚悟をなかなか決められなかったんです。学生さんもきっと友達と遊ぶ時間だったり、学校の授業のことも大事だったりします。そして社会人になると色々新しいことをチャレンジすることに身構えてしまうんですよね。「残業が…」「月謝が…」「続くか不安…」なんて。でも意を決して入会してみると「始める前の不安や心配は何だったんだろう?」とあっさりするもんです。
知的好奇心・探求心・興味・関心があること
これ、とても大事だと思います!
必ずしも最初から「言葉」や「言語」への知的好奇心・探求心・関心・興味である必要はないです!言語を学ぶ入口は人によって様々だと思います。
- 違う国・地域の人に興味がある
➡人々との交流や相互理解のために現地の言葉を学ぶ! - 音楽・エンタメが好き
➡音楽をより深く知るため・楽しむために言葉を学ぶ! - 経済・文化に興味がある
➡より濃い現地情報を得るために言葉を学ぶ! - 好きなアーティストやタレントがいる
➡ファン活動をより濃いものにしたいから言葉を学ぶ! - スポーツが好き
➡そのスポーツが盛んな国のことをもっと知りたいから言葉を学ぶ! - 仕事のお客さんで外国の方が多い
➡よりよりおもてなしとコミュニケーションを心がけて臨みたい!
など…自分の好きなことや興味のあるものって、ひたすら夢中になれますよね(‘ω’)更に楽しみを見いだしてくると、自然と言語習得欲求が高まって自発的に学ぶ姿勢が仕上がってきます。
そして気が付けば外国語を学んでいる…これってまさに「語学センスを磨く」ということだと思います(‘ω’)!
僕も外国語学び始めた理由・きっかけは色々ありますが、外国語(英語や中国語)に限った話ではなく、日本語・日本の地理などにも強い関心があり、不思議な魅力に引き寄せられたことも一つの理由だと思っています。
日本地図や世界地図が大好きで、小さい頃は本がボロボロになるまで読み漁ったり、地元のことだけでなく他の都道府県のことを勉強することがとにかく昔から大好きでした。あまり知名度の高くない地名であっても、データを見ながら人口が多い順に並べたりなど…そんなことばっかりしていたので、中学生の時は地理がめちゃめちゃ得意でした(‘ω’)
結果として、こういったことが言語学習のきっかけにもつながり、現在でもその興味・関心で積み重ねたものを「情報の引き出し」として大いにインプット・アウトプットして楽しんでいます。
- この都道府県の盛んな産業・農作物って何だろう?
- この地域の気候ってどんな感じなんだろう?
- 小さな沖縄なのになぜアクセントにこんなに違いがあるんだろう?
- 京阪神の関西弁の違いは何だろう?
- 横に広い都道府県の東と西の方言のちがいって何だろう?
- 隣接している都道府県同士はお互いのことどう意識してるんだろう?
- 陸続きの国家があれば、国境沿いに住んでいる人たちはどんな言葉を話しているんだろう?
- あっちの国の人は何ヶ国語話すんだろう?
- どんな教育が盛んなんだろう?
- 何故あそこの地域はいつも暑い・寒いのだろう?
ほんとこんな感じなんです。色々ありすぎて書ききれないので、この知的好奇心のループって本当に無限大∞なんですね!
「自分自身に外国語学習は無縁かな?」と思っている人も、語学学習のきっかけやセンスを磨く機会が自分自身が好きなものから始まるかもしれないです。何かに対する知的好奇心・探求心・興味・関心は語学学習のモチベーションを高め、絶え間ない学習意欲の促進につながりますよ!
軸がある・目的意識があること
- 目的意識がハッキリしていること
- 自分のブレない軸があること
これも語学学習に臨むにあたってとても大事なことだと思っています。
- なぜ外国語学習をしているのか?を常に考えている
- オリジナリティ溢れる(独自の)学習方法を確立している
- 理想像・テーマ・目標などがある(こうなりたい!という意識)
- 「周りがこうしているから、私もこうする」ではなく流されない自分のスタンスを持っている
など…です。
例えば「英語を勉強するならどのテキストを買うべき何だろう?」と考える時、真っ先に書籍のレビューなどを探して参考にしたりすることも大事ではありますが、それが必ずしも自分自身に合っているとは限りません。勉強法に関しても、体感で覚える人・板書して覚える人・読み込んで覚える人・図で理解する人など人によってタイプもバラバラ、学習スタイルも実に様々です。他の人がどのように勉強しているのかを参考にすることは積極的にやるべきだとは思いますが、優先的に考えるのは、自分がどう楽しめるかにより重きを置くことのほうが良いと思います。
「今は英検よりはTOEICを受けるべき」「就活・転活にはTOEIC」と周りがよく言うし、そういうことを耳にするから「じゃあやっぱり英検よりはTOEICを受けるほうが絶対に良いよね?」というわけではありません。英検のようなアカデミックな出題傾向が好きな人であれば、英検のほうが良いでしょう。【合格】か【不合格】かがハッキリしている英検が好きな人もいます。一方、TOEICのスコアアップを狙っていく道のりにワクワクや楽しみ、そして目標スコアがあるならそれに向けてのTOEICの勉強が楽しい人もいます。合否こそないですが、スコアの推移や波がよくわかるのはこれですよね。本当に人それぞれなんです(‘ω’)
僕自身、外国語の勉強をしていますが「語学の資格試験に向けて学習する」「就職・転職活動に有利だから」というのではなく、エンターテイメント要素強めの感覚だったりしています。試験のための勉強というより「客観的に自分自身のレベルを知りたい!」という時に機会があれば受けてみようかな、という感じなんです(‘ω’)
海外の大学入学・就職活動・会社での昇進に資格・スコアが必要という人であれば試験を受ける意義は多いにありますよね(‘ω’)本当に外国語学習って「こうであるべき」を定義づけるのって難しいんです。
人と比べる必要もあまりないと思います(‘ω’)
「すごい!」「自分も頑張らなきゃ!」と周りの人の頑張りや結果を元に、奮起するのは大いにアリです。でも周りと比べて落ち込んだり、自分自身の能力に大してネガティブなるのはもったいないと思います。悔しいと感じるならそれをバネにして自分自身のスタイルで目標に向かっていく心を持ち続けるほうがいいですよ(‘ω’)
ちなみに僕の場合、英語・中国語学習には下記のようなスタイルを基盤にしています(‘ω’)!
- 単語・綴り・パンクチュエーションはイギリス式へ
例:’color’ を ‘colour’ など - オーストラリアアクセントに寄せる
- 繁字体(繁體字)を使用する
- 単語は台湾でよく使われるものから優先的に覚える
- 台湾アクセントに寄せる
- 注音(ボポモフォ)も覚える
これらはハッキリ言って完全に自己満です。ただ、これらのスタンスのおかげで割と楽しく勉強出来ています。自分なりの自己満オリジナルルールの極みではありますが、これらを軸として「アメリカ式 vs イギリス式」「中国大陸式 vs 台湾式」で表現方法・単語・発音などを比較したりする際に、より意識したり理解をより深めやすいと僕は感じます。どちらか一方を完全に無視するというわけではありません、どんなスタイルも知識・情報としてもちろん学びます。
一つの単語を勉強したら、同義語・反義語なども併せて調べたりします。そして台湾ではどういうのか・中国ではどういうのかというように、各国での違いなどにも目を向けます。どんどん派生させていくのです。
学んだあとに「寄せる」のです(‘ω’)!コミュニケ—ションをとる相手や状況によっては使い分けもありだと思います。これも楽しむコツだと思っています。
常に自分の先の姿を想像して(どうなりたいか)を思い描くことって、語学センスを養う・磨く上で良いモチベーション材料です(‘ω’)!
寛容な心で構えていること(柔軟性)
外国語の学習において「こだわりすぎないこと」ってとても重要な気がします。例外も多く、やればやるほどぶち当たる壁がどんどん増えていきます。そういった意味で、「うんうん」と寛容な心で受け止め、柔軟な姿勢で学習に臨むことが大事だと思います(‘ω’)!
人の個性や出身地などによって個性が顕著に表れるのも「言語」です。どんな外国語にもある「日本人アクセント」だって立派なお国柄 & 個性だと思うくらいがよいのです(‘ω’)外国語なんだから、母語と同じレベルで流暢である必要はないとも思います。少なくとも僕はそのつもりでやっています(‘ω’)
- 話すのは得意だけど、読むのは苦手
- 聞き取りはすごくできるのに、書くのは苦手
- 膨大なボキャブラリーの多さと綺麗な文は書けるけど、話すのは苦手
得意・不得意も個性です!スピーキング・リスニング・ライティング・リーディング…「オールラウンドであるべき」ということにこだわらず、まずは自分の得意そうなことや伸ばしたいポイントを理解して気楽に構えて学習するほうが絶対に良いと思います!
継続すること
言語取得の道のりは果てしないものです。一日、二日でぐんと伸びるものではないので、とにかく継続して臨めるかどうかが本当に大事だと思います。「どのくらい時間をかけたら、どのくらい伸びる?」なんてのも学習密度によっても異なりますし、語学学習のショートカットは存在しないのでは?と思ったりします。学習を続けていると、ふと「あれ?なんかよくわかんないけど伸びたかもしれない」と気づくような感覚です。
中国語の勉強を開始して半年以上経過した僕ですが、一体どこが・いつ頃がターニングポイントだったかはわかりません。ただ、半年前と今とでは違います、それだけはハッキリしています。0だったものが0ではないからです(‘ω’)!これはコツコツと継続してきたことが表れ始めた証です。
焦らないこと、めげないこと、小さな成長を喜ぶこと…これの繰り返しです。努力が結果を裏切らないのも語学の学習だと思っています!
母国語での表現が豊か・知識豊富であること
母国語(僕の場合は日本語)の基盤もしっかりしておくことが大前提であり、非常に大事であることを改めて感じます。外国語学ぶ上で、何でもかんでも母国語に置き換えて考えてしまうという極端なものではなく、ある程度「母国語(軸となる言語)のニュアンスで捉えること」は外国語をより深く理解するために重要だったりします。
話の引き出しの多さやボキャブラリーが豊富であり、日本語での表現が豊かな人は外国語でも表現の幅を広げられる可能性が十分にあると思います。日常で起きていることにいつもアンテナを張ったり、本を読んだり、最新の情報を仕入れたり、ある専門分野に関する強み・スキルがあったり…など。
「言語習得は早いうちからのほうがいい」とよく言われますが、大人になって様々な経験を積み、日本語での語彙力だったり情報の引き出しが増えたからこそ出来ること・伸ばせる分野だってたくさんあると思います(‘ω’)
まとめ
「なんだ、もっと深い話だと思った!」「語学センスの磨き方のコツって結局なんだよ!」なんて納得していない読者の方もいるかもしれません。繰り返しになってしまいますが、語学・言語習得に対して…
- 行動力があること
- 知的好奇心・探求心・興味・関心があること
- 目的意識があること
- 寛容・柔軟な心で構えていること
- 継続すること
- 母国語(軸となる言語)での表現が豊かであること
これらは当たり前のことのようで、行動に移す・継続する・意識するってなかなか難しいですよね(‘ω’)生まれ持ったもだけじゃカバー出来るようなものではないと思います。
言語習得はこれら無しでは何も始まらないですし、進歩しないからです。なので、自分次第で何かしらのアクションを起こしているのであれば「私は語学センスあります!磨いてます!」と胸を張っていいと思います。
もし周りに外国語をとても上手に操る人がいるとしたら、その人はきっと見えないところで、凄く頑張ってきたんだと思いますよ!
僕は日本生まれ・日本育ちで両親も日本人なので、当然母語である日本語を主に話す環境にずっと身を置いています。身内や近所に英語や外国語を話す人がいるというような状況は少しありましたが、特に自分自身が外国語を絶対に話さなければならないという必要に迫られたこともなく、基本的に日本語を話せば困るようなこともありませんでしたし、それは現在においても同じです。
外国語学習については全て「自分の意志・選択で取り組んできたもの」になります(‘ω’)
そんな僕は、学習している言語(英語・中国語)は日本語と同じレベルで操るような水準には到底及びませんし、「じゃあどこまで話せるようになればいいのか?」「自分自身のレベルってどのくらい?」といった立ち位置だったり、ハッキリした達成レベルについては自分自身でもよくわかっていません。でも特に無理して追いこんだり、探し求めてるわけでもなく割と気楽に構えています。
ただ純粋に「言葉を学ぶって楽しい!」と思っていることだけが本当に救いだと思っています。自分の生き方(立ち向かい方?)や生活に重要なものであり、多大な影響を与えているのが外国語の学習で、語学習得の難しさや楽しさなど全部含めて、趣味・生きがいとなっています(‘ω’)
「語学センス」の絶対的な定義・条件がないからこそ、自己満足かつ納得出来る方法を自分自身で自由に追求・追究していっていいものなのかな?と思います(‘ω’)